金子恵水の絵画
金子恵水の水墨画、南画、日本画を紹介していきます。
金子恵水について、
私の母、金子恵水(カネコ ケイスイ、本名 恵美子 1931-2009)は、趣味で水墨画を書いていました。実はジャンルが何にあたるのか私には確信がないのですが、元々は南画、最近は日本画で良いのではないかと思っています。いずれにしても、水墨画のカテゴリに属しており、和紙に墨と岩彩(岩絵の具)で描いていく絵画です。
1973年頃、福島市にいたとき、たまたまお隣り同士となりました故 篠原三青 氏に師事して南画を書き始めました。その後、埼玉に転居してからは、東京の川口楽土 氏らの日本南画院に出入りして、段々と日本画に近い絵を描くようになりました。ただし、写実よりも墨の濃淡が出す味わいを大切にしていたように思いますので、これを日本画と言って良いのか良く分りません。南画を書いていた時分には四君子を始めとする典型的な南画の題材を描いていましたが、徐々に好きな山野の草花を題材にすることが多くなりました。
生前は絵を描くことを楽しむと同時に、展覧会に出展したりして人々に見てもらうことも楽しんでおりました。描く時期と描かない時期に大きなムラがありましたが、それでも100点弱くらいの絵が残されているのではないかと思います。それらの絵をここで順に展示していきたいと思います。
ウバユリの絵
最初はウバユリの絵です。この絵はどこかの展覧会に出品していた筈ですので、題名を付けていたと思われますが、整理ができていないために現在では分らなくなっています。
さて、この花は本人が特に好きな花でした。オオウバユリ(大姥百合)は晩夏に花を付ける大型の野生の百合で、暗い林床で咲きます。花は1メートルくらいの直立した茎の上に拡声器のような具合に付きますが、その頃には葉が枯れてぼろぼろになっているため、葉がない→歯がない→姥、という連想で和名が付いています。アイヌ語ではトゥレップと言い、重要な食物として利用され、根から澱粉を取っていたようです。北海道や福島に住んでいた時分に良く見かけましたので、寒い地方に多いように思います。スケッチは黒姫(長野県)の家の近くで行ったのではないかと思います。
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